一.空手は礼に始まり、礼に終わることを忘るな。 十一.空手は湯の如く絶えず熱度を与えざれば元の水に返る
二.空手に先手なし。 十二.勝考えは持つな、負けぬ考えは必要。
三.空手は義のたすけ。 十三.敵に因って転化せよ。
四.先ず自己を知れ而して他を知れ。 十四.戦は虚実の操縦如何にあり。
五.技術より心術。 十五.人の手足を釼と思え。
六.心は放たん事を要す。 十六.男子門を出づれば百万の敵あり。
七.禍は懈怠に生ず。 十七.構えは初心者に、あとは自然体。
八.道場のみの空手と思うな。 十八.型は正しく、実戦は別もの。
九.空手の修行は一生にある。 十九.力の強弱、体の伸縮、技の緩急を忘るな。
十.凡ゆるむものを空手化せよ、其処に妙味あり。 二十.常に思念工夫せよ。
一.人格完成に努めること
二.誠の道を守ること
三.努力の精神を養うこと
四.礼儀を重んじること
五.血気の勇を戒めること
明治元年 沖縄県那覇市(首里)の土族の家に生まれる。
旧姓は富名腰といい、のちに船越と改名した。
唐手は安里安恒や糸洲安恒に師事した。
船越義珍により空手が沖縄からはじめて日本本土に伝承される。近代空手の祖と言われ、
それまでの唐手という表記を空手にあらためたのは昭和の初期のころである。
1922年 日本本土に渡り東京にて文部省主催の第一回古武道体育博覧会で唐手を紹介
した後、小石川(明正熟道場)、目白、本郷に道場を開設し空手の普及に努めた。
慶応義塾大学を始め各大学、警視庁、など師範となる。
1924年(大正14年)に本土にて始めて慶応義塾大学に唐手研究会を創部された。
船越義珍は沖縄時代から書の雅号を「松濤」と付けておられた、次第に人がそこで行われる
空手を松濤館流と呼ぶようになった。
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